コラム

自己肯定感を上げようとすると苦しくなる理由~「もっと良い自分」になろうとして疲れてしまうあなたへ~

今回は、「自己肯定感を上げようとしているのに、なぜか苦しくなる」と感じている方向けのお話になります。

「もっと自分を好きになりたい」
「自己肯定感を上げたい」
「今の自分を変えたい」

そう思って、美容や運動に励んだり、動画を見たり、前向きな言葉を取り入れたりしてきた方も多いと思います。

けれど、頑張っているはずなのに、かえって苦しくなることがあります。

前向きになろうとしているのに、心が休まらない。
自分を認めようとしているのに、どこか無理をしている感じがする。
「変われない自分はやっぱりダメだ」と、さらに落ち込んでしまう。

この記事では、自己肯定感を上げようとするほど苦しくなる理由を、愛着と見捨てられ不安の視点から整理してみたいと思います。

この記事のポイント
自分を良くしようとする努力にも意味はあります。
けれど、その努力が「今の自分への否定」から始まると、心は休まらなくなってしまうことがあります。


自己肯定感を上げたいと思うのは、自然なこと

まず最初に確認しておきたいのは、自己肯定感を上げたいと思うこと自体は、とても自然なことだということです。

自分に自信が持てない。
人と比べて落ち込んでしまう。
いつも自分を責めてしまう。
自分のままで大丈夫だと思えない。

そうした苦しさがあるとき、私たちは当然、そこから抜け出したいと思います。

もっと前向きになりたい。
もっと堂々としたい。
もっと自分を認められるようになりたい。
人の目を気にせず、自分らしく生きたい。

その願いは、おかしなものではありません。

むしろ、ずっと自分を責めながら生きてきた人ほど、自己肯定感を上げたいと強く願うのは自然な流れだと思います。

ただ、その努力がある形になると、かえって苦しくなることがあります。

それは、自己肯定感を上げようとする努力が、いつの間にか「今の自分ではダメだから、もっと良い自分にならなければいけない」という前提に乗ってしまうときです。

ここで大事な視点
自己肯定感を上げたいという願いそのものが悪いわけではありません。
苦しくなるのは、その努力が「今の自分では足りない」という否定から始まってしまうときです。


「もっと良い自分」になろうとすると、今の自分が否定される

自己肯定感を上げようとするとき、私たちはよく「もっと良い自分」を目指します。

もっと明るい自分。
もっと自信のある自分。
もっと人に振り回されない自分。
もっと前向きで、落ち込まない自分。

そういう自分になれたら、きっと楽になる。
そういう自分になれたら、もっと安心できる。
そういう自分になれたら、人に嫌われる不安も減る。

そう感じることがあります。

けれど、ここには一つ落とし穴があります。

「もっと良い自分になりたい」という思いの奥に、
「今の自分では足りない」
という前提が隠れていることがあるのです。

今の自分では弱い。
今の自分では不安定。
今の自分では人に愛されない。
今の自分では受け入れてもらえない。

だから、もっと良い自分にならなければいけない。

この形になると、自己肯定感を上げる努力は、安心につながりにくくなります。

なぜなら、その努力の出発点が、すでに今の自分への否定になっているからです。

自分を好きになろうとしているのに、心の奥では「今の自分は好きになれないもの」として扱っている。

自分を認めようとしているのに、心の奥では「今の自分はまだ認められない」と感じている。

この状態では、どれだけ努力しても、心はなかなか休まりません。

苦しくなる理由
「もっと良い自分になろう」とする努力が、いつの間にか「今の自分ではダメ」というメッセージになってしまうことがあります。


自己肯定感を上げる努力が、また採点になってしまう

自己肯定感が低いとき、心の中では自分を採点する動きが強くなっていることがあります。

私はちゃんとできているか。
人から見ておかしくないか。
受け入れられる側にいるか。
ダメな自分になっていないか。

そうやって、自分に点数をつけるように、ずっと自分を見続けてしまう。

自己肯定感を上げようとする努力が苦しくなるのは、この採点の上に、さらに新しい採点が重なるからです。

たとえば、最初の採点では、こう感じています。

私は自己肯定感が低い。
私は自信がない。
私は人と比べて落ち込みやすい。
私は自分を好きになれない。

そこに、さらに次の採点が加わります。

自己肯定感を上げられていない私はダメ。
前向きになれない私はダメ。
変わろうとしているのに変われない私はダメ。
自分を認められない私は、やっぱりダメ。

これが、いわば二重の採点です。

自分に自信がないことを苦しみ、
その自信のなさを、さらに問題として責めてしまう。

自己肯定感が低いことに悩み、
その低さをまた採点してしまう。

こうなると、自己肯定感を上げる努力そのものが、採点のゲームの中に入ってしまいます。

本当は楽になりたくて始めたはずなのに、
いつの間にか「もっと良くならなければ」と自分を追い立てるものになってしまうのです。

二重の採点
「自己肯定感が低い自分」を責め、さらに「自己肯定感を上げられない自分」まで責めてしまう。
この二重の採点が、心をさらに疲れさせることがあります。


自分磨きが苦しくなるのは、努力が悪いからではない

ここで大切なのは、自分を良くしようとする努力そのものが悪いわけではない、ということです。

本を読むこと。
運動すること。
学ぶこと。
仕事を頑張ること。
人との関わり方を見直すこと。
自分の心を振り返ること。

こうした努力には、たしかに意味があります。

自分のために何かを始めること。
少しでも生きやすくなる方法を探すこと。
今より楽に呼吸できる場所を探すこと。

それは、とても自然で大切な動きです。

ただ、その努力が「自分を大切にするため」ではなく、「足りない自分を埋めるため」になっていくと、苦しさが強くなります。

もっと頑張らないと価値がない。
もっと成長しないと置いていかれる。
もっと魅力的にならないと愛されない。
もっと役に立たないと必要とされない。

こうなると、自分磨きは、自分を大切にする時間ではなくなっていきます。

それは、見捨てられないための努力になってしまうのです。

努力しているのに疲れる。
頑張っているのに安心できない。
成長しているはずなのに、まだ足りない気がする。

そういうとき、問題は努力の量ではないのかもしれません。

その努力が、どんな前提の中で行われているのか。
そこを見ることが大切です。

努力を見る視点
努力が悪いのではありません。
苦しくなるのは、その努力が「自分を大切にするため」ではなく、「認められる側に残るため」のものになってしまうときです。


「変わらなきゃ」が強いと、安心は後回しになる

自己肯定感を上げたいとき、私たちはよく「変わらなきゃ」と思います。

もっと前向きにならなきゃ。
もっと自信を持たなきゃ。
もっと人に振り回されないようにならなきゃ。
もっと強くならなきゃ。

でも、「変わらなきゃ」が強すぎると、今の自分はいつも未完成のものとして扱われます。

今の自分は、早く直すべきもの。
今の自分は、まだ足りないもの。
今の自分は、そのままでは安心できないもの。

そうなると、心の中ではずっと緊張が続きます。

今のままではいけない。
早く変わらないといけない。
もっと良くならないといけない。

この状態では、安心はいつも未来に先送りされます。

もっと変われたら安心できる。
もっと自信がついたら安心できる。
もっと良い自分になれたら安心できる。

けれど、その未来にたどり着いても、また次の「もっと」が出てくることがあります。

もっとできるはず。
もっと安定するべき。
もっと人に左右されない自分にならなければ。

こうして、安心できる場所がいつまでも来ないまま、変わり続けることだけが求められてしまいます。

自己肯定感を上げようとしているのに、心が休まらない。
その背景には、「変わらないと安心できない」という前提があるのかもしれません。

安心が遠のく理由
「変わったら安心できる」と思い続けていると、今の自分が安心できる場所から遠ざかってしまうことがあります。


本当に必要なのは、「もっと良い自分」になることだけではない

ここまで見てきたように、自己肯定感を上げようとして苦しくなるとき、問題は努力不足ではありません。

むしろ、たくさん努力している人ほど苦しくなることがあります。

自分を変えようとしている。
前向きになろうとしている。
自分を認めようとしている。
もっと良い自分になろうとしている。

それでも苦しいのは、その努力の奥に、
「今の自分では受け入れられない」
という不安が残っているからかもしれません。

だから本当に必要なのは、もっと高い点を取ることだけではないのだと思います。

もっと良い自分になることだけでもありません。

むしろ必要なのは、
今の自分を採点し続けなくてもいい場所
なのではないでしょうか。

前向きになれない自分も、そこに置いておける場所。
変われない自分を、急いで直さなくてもいい場所。
落ち込んでいる自分を、失敗として扱わなくていい場所。
今の状態のままでも、関係が切れないと感じられる場所。

そうした場所があるとき、私たちは少しずつ、採点の緊張から降りやすくなります。

自己肯定感は、無理に上げるものというより、
自分を測り続けなくてもいい場所の中で、少しずつ力が抜けていくものなのかもしれません。

必要なもの
「もっと良い自分」になることよりも先に、
「今の自分を採点し続けなくてもいい場所」に触れることが、心を支えてくれることがあります。


まとめ

今回は、自己肯定感を上げようとすると苦しくなる理由について見てきました。

自己肯定感を上げたいと思うこと自体は、自然なことです。

自分を好きになりたい。
もっと安心して生きたい。
人の目を気にしすぎずに、自分らしくいたい。

その願いには、ちゃんと意味があります。

ただ、その努力が「今の自分ではダメ」という前提から始まると、心は休まりにくくなります。

もっと前向きにならなければ。
もっと自信を持たなければ。
もっと良い自分にならなければ。

そう思うほど、自己肯定感を上げる努力そのものが、また新しい採点になってしまうことがあります。

自分を良くしようとする努力にも意味はあります。
でも、その努力が「今の自分への否定」から始まると、心は休まらないのです。

もし今、自己肯定感を上げようとして疲れているなら、少しだけ問いを変えてみてもいいかもしれません。

私は、どんな自分にならないと受け入れられないと思っているのだろう。

そしてもう一つ、こう問いかけてみてもいいと思います。

今の自分を、採点し続けなくてもいい場所はあるだろうか。

自己肯定感を上げることよりも、
採点しなくてもいられる場所に触れること。

そのほうが、ずっと深いところで、私たちの心を支えてくれることがあります。


まとめの一文
自己肯定感を上げようとして苦しくなるのは、努力が足りないからではなく、
その努力が「今の自分ではダメ」という前提の中で、また新しい採点になってしまっているからかもしれません。

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