今回は、「見捨てられ不安」をテーマにしたお話になります。
人といると気を遣いすぎてしまう。
一人でいると、急に強い不安に襲われる。
嫌われていないか、確認せずにいられない。
そんな感覚に、心当たりがある方もいるかもしれません。
こうした感覚の背景には、見捨てられ不安と呼ばれる心の動きがあることがあります。
見捨てられ不安は、よく「性格が弱いから」「メンタルが弱いから」と説明されがちです。
けれど実際には、それだけで説明できるものではありません。
この記事では、見捨てられ不安を、発達心理学の言葉から見ていきたいと思います。
この記事のポイント
見捨てられ不安は、生まれつきの弱さではなく、心が育っていく過程で必要だった「ある栄養」と関わっているのかもしれません。
心は生涯かけて育っていく——エリクソンの発達段階

発達という言葉を聞くと、身体の成長というイメージがあるかもしれません。
けれど心理学には、心の発達を研究する分野があります。
心理学者のエリクソンは、人の一生を8つの時期に分けて、
それぞれの時期に乗り越えていく心の課題があると考えました。
たとえば、赤ちゃんの時期にはこういう課題、小学生の時期にはこういう課題、というように。
これは、身体の成長とは別の、心の発達の地図のようなものです。
8つの段階を、ざっくりと並べるとこうなります。
- 乳児期:基本的信頼
- 幼児前期:自律性
- 幼児後期:自発性
- 学童期:勤勉性
- 青年期:アイデンティティの確立
- 成人期:親密性
- 壮年期:世代性
- 老年期:統合
それぞれの段階に、その時期ならではの課題があります。
今回のお話では、特に見捨てられ不安と関わりの深い、
乳児期(基本的信頼)・青年期(アイデンティティ)・成人期(親密性)を中心に見ていきます。
※エリクソンの理論についてもっと詳しく知りたい方は、「エリクソン ライフサイクル」で検索すると、丁寧な解説がたくさん見つかります。
心が育つには「栄養」が必要だった
身体が育つために栄養が必要なように、
心が育つためにも、ある種の栄養が必要なのではないか、と私は考えています。
では、心の栄養とは何でしょうか。
「上手にできた時に褒められること」
「正しいことをしたら認められること」
そうしたものを思い浮かべる方もいるかもしれません。
もちろん、それも一つの栄養ではあります。
ただ、それだけだと、心はうまく育ちにくいことがあります。
なぜなら、「上手にできた時だけ受け取れる栄養」は、
裏を返せば「上手にできなかったら、もらえないかもしれない」という条件付きの栄養だからです。
本当に心の土台を作るのは、もう少し違う栄養かもしれません。
それは、
どんな自分でも、そこにいていいと感じられる関係です。
ちゃんとできていなくても。
失敗していても。
機嫌が悪くても。
それでもそこにいていい、と感じられる場所。
そういう関係の中でこそ、心はゆっくりと育っていくのではないかと思います。
心の栄養とは
上手にできた自分が褒められることだけではなく、
どんな自分でもそこにいていいと感じられる関係のことかもしれません。
見捨てられ不安はどこから生まれるのか——乳児期と「基本的信頼」
エリクソンの最初の段階は、乳児期です。
この時期の課題は、基本的信頼と呼ばれています。
少し難しい言葉ですが、内容はシンプルです。
「世界は、安心していい場所だ」
「自分は、ここにいていい存在だ」
そう感じられる感覚が、最初の関係の中で少しずつ育っていく、ということです。
赤ちゃんが泣いた時に、誰かが来てくれる。
お腹が空いた時に、誰かがそばにいてくれる。
不安な時に、抱きしめてくれる人がいる。
そうした経験を通して、世界への基本的な信頼が芽生えていきます。
けれど、もしこの時期に、その栄養が十分に届かなかったとしたら。
「来てくれるかどうかわからない」
「自分はここにいていいのかわからない」
そうした感覚が、心の一番奥に残ることがあります。
これが、見捨てられ不安の最も古い層なのかもしれません。
見捨てられ不安の起点
見捨てられ不安は、生まれつきの弱さではなく、
最初の関係で受け取った栄養と関わっているのかもしれません。
青年期の課題——「自分が確立される」とは何だったのか
次に見ていきたいのが、青年期の課題です。
この時期の課題は、アイデンティティの確立と呼ばれています。
これも、よく聞く言葉だと思います。
「自分が何者なのか」がはっきりしてくる時期、というイメージでしょうか。
一般的には、アイデンティティの確立は、
「自分を見つめ直して、自分が何者かを掘り起こす作業」として語られることが多いです。
ただ、少し違う見方もできるかもしれません。
自分が確立されるというのは、
努力して掘り起こすものというより、
安心して、いろいろな自分でいられた結果として、輪郭が見えてくるものなのかもしれない、ということです。
こんな自分も、こんな気持ちも、こんな考えも。
全部そこにあっていい、という場所があると、
人はだんだん、自分の輪郭を感じられるようになっていきます。
逆に、見捨てられ不安が強い状態だと、何が起きるでしょうか。
「正しい自分でいなければ」
「好かれる自分でいなければ」
そういう注意が、ずっと自分に向き続けます。
すると、自分の本当の輪郭よりも、
「好かれそうな自分の形」のほうばかりが意識されるようになります。
その状態では、自分の核は、かえって見えにくくなっていくのです。
アイデンティティが見えにくい背景
「自分が確立できていない」のは、内省が足りないからではなく、
評価されずにいられる場所が足りなかっただけかもしれません。
栄養が足りないまま大人になると
自分の核がはっきりしないまま、私たちは次の段階に進みます。
成人期、つまり親密性の課題です。
親密性とは、他者と近い関係を築いていく力のことです。
恋人、友人、職場の人間関係、家族——いろいろな場面で関わってきます。
けれど、自分の輪郭がはっきりしないまま親密性の段階に入ると、
他者との関係の中で、ある動きが起きやすくなります。
それは、
足りなかった栄養を、目の前の関係で埋めようとする動きです。
恋人に、自分の安心を支えてもらおうとする。
友人に、自分の価値を保証してもらおうとする。
職場で、認められることで自分の存在を確かめようとする。
それ自体は、悪いことではありません。
むしろ、足りないものを補おうとする、自然な心の動きです。
けれど、もともと足りなかった栄養と、目の前の関係で得られるものとは、形が違います。
そのため、いくら関係を深めても、いくら認められても、
ぽっかり空いた感覚は、なかなか埋まらないことがあります。
関係で埋まりにくい理由
足りなかったのはあなたの努力ではなく、
評価されずにいられる関係という栄養だったのかもしれません。
見捨てられ不安と「採点する自分」
見捨てられ不安が強い状態では、もう一つ起きやすいことがあります。
それは、自分で自分を採点する動きです。
私はちゃんとできているか。
人より劣っていないか。
受け入れられる側にいるか。
そうやって、自分に点数をつけ続けることで、
なんとか「見捨てられない側」にいようとします。
これは、見捨てられ不安への自衛策のようなものです。
点が低いと危ない。だから採点を止められない。
けれど、見捨てられ不安には、はっきりした合格点がありません。
だから採点も、なかなか終わりにくいのです。
採点が止まらない背景
自分を厳しく見てしまうのは、意志の弱さではなく、
「点が低いと見捨てられる」という不安の中で、自分を守ろうとしていることがあります。
では、今からどうするか
ここまで読んで、「もう大人になってしまったから手遅れなのでは」と感じた方もいるかもしれません。
でも、安心してほしいのは、
足りなかった栄養は、今からでも取り直すことができるということです。
ただ、ここで気をつけたいことがあります。
「今から自分と徹底的に向き合おう」
「自分の核を頑張って見つけよう」
そういう方向に進もうとすると、また新しい採点が始まってしまうことがあります。
「ちゃんと向き合えているか」「ちゃんと自分を見つけられているか」と。
本当に必要なのは、もう少し違うことなのかもしれません。
それは、
採点されない場所を、ひとつでも持つことです。
何点かで見られない場所。
ちゃんとできているかどうかで価値が決まらない場所。
今の自分のままでも、関係が切れないと感じられる場所。
そういう場所がひとつでもあると、
心の奥にずっと残っていた「足りなかった栄養」が、少しずつ届き始めることがあります。
そしてそれは、
一人で頑張って自分と向き合うことではなく、
評価されない関係の中で、ゆっくりと起きていくことなのかもしれません。
まとめ
今回は、見捨てられ不安を、発達心理学の言葉から見てきました。
見捨てられ不安は、性格の弱さでも、メンタルの弱さでもありません。
それは、心が育っていく過程で必要だった栄養と、深く関わっているのかもしれません。
その栄養とは、
評価されずに、そこにいていいと感じられる関係のことでした。
その栄養が足りないまま大人になると、
自分の輪郭がはっきりしなかったり、
目の前の関係で埋めようとしてもうまくいかなかったり、
自分で自分を採点する動きが止まらなくなったりします。
けれど、足りなかった栄養は、今からでも取り直すことができます。
そのために必要なのは、頑張って自分と向き合うことではなく、
採点されない場所をひとつでも持つこと、なのかもしれません。
もし今、見捨てられ不安に苦しんでいるなら、
「私には何が足りないんだろう」と問う前に、こう問いかけてみてください。
私はどんな場所でなら、採点されずにいられるだろう。
その問いから、少しずつ見え方は変わっていくはずです。
まとめの一文
見捨てられ不安は、あなたが弱いからではなく、
心が育つために必要だった「評価されない場所」が、足りなかっただけかもしれません。
そしてその場所は、今からでも持つことができます。