こんにちは。
モバイル愛着ケアカウンセラー 川谷虎鉄です。
SNSを見ていると、誰かの成功が流れてくることがあります。
同年代の活躍。
仕事で結果を出している人。
充実した日常。
夢を叶えている人。
そうした姿を見て、素直に「すごいな」と思えることもあります。
その一方で、なぜか強く苦しくなることもあります。
焦る。
置いていかれたように感じる。
自分だけが足りていないように思えてしまう。
それが苦しくて、「気にしないようにしよう」としても、それができなくてますます苦しんでしまう……。
この記事では、なぜ他人の成功が苦しく感じられるのかを、比較と自己チェックの流れから整理していきます。
この記事のポイント
他人の成功が苦しいのは、単に嫉妬しているからではありません。
比較の瞬間に、自分の「大丈夫」が揺らぎ、内側の警告が強まることがあります。
比較の苦しさは、安心の揺らぎから始まる
前回は、
「ちゃんとできない自分が許せないのはなぜか」
というテーマを扱いました。
その背景にあるのが、「私は大丈夫だろうか」と自分を確かめる動きです。
私はちゃんとできているか。
ここにいて大丈夫か。
見捨てられない側にいられているか。
安心しにくい環境の中では、こうした自己チェックが強くなりやすくなります。
そしてこの動きは、自分ひとりの中だけで完結するわけではありません。
他人を見た瞬間に、一気に強まることがあります。
他人の成功が苦しいとき、起きているのは単に「相手がすごい」ということではありません。
その瞬間に、自分の中の「大丈夫」が揺らいでいる。
そこが、このテーマの出発点です。
ここで大事なこと
比較の苦しさは、能力差そのものだけで生まれているわけではありません。
比較によって、自分の安心が揺さぶられることがあります。
他人の成功を見ると、自分が危うく感じられる理由
誰かの成功を見ると、その人が「受け入れられている側」に見えることがあります。
認められている側。
落ちない側。
大丈夫な側。
すると今度は、そこから自分を見返すことになります。
自分はそこまでできていない。
そこまで進めていない。
そこまで整っていない。
そう感じた瞬間に、自分が危ない側に近づいたような感覚が出てくることがあります。
私は遅れていないだろうか。
私は足りない側に落ちていないだろうか。
このままで本当に大丈夫なのだろうか。
こうして自己チェックが始まります。
つまり比較は、単に優劣を知るために起きているのではありません。
比較の中で、自分の安全を確かめようとすることがあるのです。
だからこそ、苦しくなります。
苦しいのは、他人が前に進んでいるからだけではありません。
それを見た瞬間に、自分の「大丈夫」が揺らいでしまうからです。
苦しさの正体は、「このままでは危ない」という警告
ここで起きている苦しさは、単なる嫉妬ではありません。
もちろん、羨ましさや悔しさが混ざることはあります。
ただ、それだけでは説明しきれない苦しさがあります。
もっと強く働いているのは、「このままでは危ない」という感覚です。
今のままではだめかもしれない。
もっとちゃんとしていないと危ない。
もっと良くならないと置いていかれる。
そんな警告が内側で鳴り始めます。
すると人は、その苦しさを下げるために動き始めます。
もっと頑張る。
もっと整える。
もっと良い自分になろうとする。
自分磨き。
実績づくり。
見せ方の工夫。
ちゃんとしている自分でいようとする努力。
ここで起きている流れを整理すると、こうなります。
比較で苦しくなる流れ
誰かの成功を見る
↓
不安が動く
↓
「私は大丈夫?」というチェックが強まる
↓
苦しさが出る
↓
その苦しさを静めるために、改善行動が始まる
つまり、比較で苦しいから頑張るというより、その苦しさ自体が「もっと良くなれ」と警告を出していることがあるのです。
だから比較はしんどい。
けれど同時に、そのしんどさが頑張りにもつながっている。
ここが、この問題の苦しいところです。
デジタル評価社会では、警告が止まりにくい
比較そのものは、昔からありました。
ただ、今はその比較が終わりにくい時代です。
SNSを開けば、他の誰かの成功がすぐに目に入ります。
仕事。
お金。
見た目。
恋愛。
子育て。
生き方。
発信力。
あらゆるものが、比較できる形で流れてきます。
しかも、一人見て終わりではありません。
次の誰かが出てきて、また別の誰かが出てきます。
すると、
「私は大丈夫だろうか」
という自己チェックも止まりにくくなります。
頑張っても、また比較材料が入ってくる。
整えても、また上が見える。
だから警告が途切れる暇がありません。
今の社会は、比較する人が多いというよりも、
比較による警告が鳴り続けやすい構造になっている。
そう見たほうが実態に近いのではないかと思います。
デジタル社会のしんどさ
問題は「比較してしまう自分」だけではありません。
比較が何度も流れ込んでくる環境そのものが、自己チェックを強めやすくしています。
頑張っても頑張っても苦しい。
その背景には、どんな自分でも大丈夫だと感じられる環境の中で生きているというより、常に誰かの成功を見ながら、自分の安全を確認し続ける環境があるのです。
比較の苦しさを、「足りなさ」ではなく「警告」として見る
ここまで、なぜ他人の成功がこんなに苦しいのかを見てきました。
他人の成功が苦しい。
それは、あなたが足りないからとは限りません。
その瞬間、
「このままでは危ない」
という警告が動いていることがあります。
だからまず必要なのは、他人と比べてしまう自分を責めることではありません。
また足りないと感じている。
また、もっと頑張らなければと思っている。
そのことに気づいた上で、
何がそんなに不安なのかを見ていくことが大切です。
私は何を失うのが怖いのだろう。
私は何を守ろうとしているのだろう。
今いる場所で、安全を感じられているだろうか。
そこに目を向けることが、苦しさの見え方を変えるきっかけになります。
比較の苦しさは、
「私はダメだ」という証拠ではありません。
むしろ、安心が揺らいでいるサインです。
そう捉え直せたとき、他人の成功に揺れる自分の見え方も、少しずつ変わってくるのではないかと思います。
まとめ
他人の成功が苦しいとき、起きているのは単なる劣等感だけではありません。
比較の瞬間に、自分の安心が揺らぎ、「このままでは危ない」という警告が強まっていることがあります。
だから大切なのは、比べてしまう自分を責めることではなく、その奥にある不安や守ろうとしているものを見ることです。
今回は以上です。