モバイル愛着再構築モデル(MARM)とは ― 語りをほどき、関係を編み直す、新しいセラピーのかたち ―

本ページでは、私が行っている独自のセラピーモデル「モバイル愛着再構築モデル」(Mobile Attachment Reconstruction Model:MARM)について、専門職の方向けに理論的背景を説明します。

1. 愛着トラウマとは

愛着トラウマとは、幼少期に本来必要とされる安全な愛着関係がうまく築けなかったことにより、対人関係や自己認識に深い影響を及ぼす心の傷のことを指します。

それは必ずしも虐待や明確な暴力だけではなく、たとえば「感情を出すと嫌がられた」「必要とされた記憶がない」「一貫して受け入れてもらえなかった」といった、小さなズレや孤立感の積み重ねによって生まれます。

このような傷を持つ人は、強い孤独感や不安感、自責感を抱えやすく、「自分には愛される価値がない」「人といても安心できない」といった信念が心の奥底に根づいています。

そして、そうした人ほど他者とのつながりを求め、依存や過剰な自己犠牲といったかたちで関係性に苦しむことも少なくありません。

にもかかわらず、愛着トラウマへの支援は「関係性の中で傷ついた人を、関係性の中で支援する」という難しさを伴い、通常の傾聴や共感だけでは届きにくい現状があります。

MARM(モバイル愛着再構築モデル)は、この困難さに正面から向き合い、「語り」と「関係性」を軸に、愛着の再構築を試みる新しいセラピーモデルです。
主に、愛着理論と関係フレーム理論という2つの理論を背景にしています。

2. 愛着理論とは

愛着理論(Attachment Theory)は、イギリスの精神科医ジョン・ボウルビィによって提唱された理論で、人が生涯にわたって築く対人関係の土台を説明するものです。

特に、幼少期の養育者との関係性が、その後の「自己と他者」に対する基本的な信頼感や対人スタイルを形づくるとされています。

ボウルビィは、人間が生まれながらにして「安全基地(Secure Base)」を求める存在であると述べました。子どもが不安や恐怖を感じたとき、安定した大人の存在に守られ、安心を回復できることが、心の発達に大きな影響を与えます。

しかし、十分な安心感が得られなかった場合、人は「見捨てられる不安」や「人に頼れない感覚」などを抱えやすくなり、それが思春期・成人期の対人関係やパートナーシップに影響を及ぼします。

こうした「愛着の傷」は、表面化しにくい一方で、深い孤独感や自己否定感となって人の生きづらさを形づくっていきます。

MARMでは、この愛着理論の枠組みをもとに、「安心できる関係性の再形成」を目指し、対話と関係性の中で傷ついた愛着の回復を支援していきます。

3. 関係フレーム理論とは

関係フレーム理論(Relational Frame Theory:RFT)は、アメリカの心理学者スティーブン・ヘイズらによって提唱された、人間の「言葉と意味づけ」の仕組みを説明する理論です。

RFTは、私たちが感じる苦しさの多くが、「出来事そのもの」ではなく、「その出来事にどんな意味を与えたか(=関係づけたか)」によって生まれていることを明らかにしました。

たとえば、「失敗=価値がない」「怒り=いけないこと」「私は愛されない人間」といった思考も、“出来事と意味”をつなぐ関係フレームです。
これらの関係づけは、幼少期の経験、文化、言語環境の中で自然と学習され、やがて自動化されていきます。

RFTの特徴は、こうした「意味づけのパターン」を否定したり矯正したりするのではなく、それがどのような文脈で生まれ、いまどのように機能しているかを丁寧に捉えようとする点にあります。

つまり、「その人にとって、なぜその関係づけが必要だったのか?」という視点で、人の言葉と行動を理解しようとするのです。

MARMは、このRFTの視点をもとに、「語りの内容」ではなく「語りという行動の機能」に注目し、クライアントの言葉の奥にある“生きるための知恵”を受けとめていきます。

愛着理論との統合

― 愛着とは、“関係フレーム”のネットワーク構造である ―

愛着理論は、主に幼少期の対人関係を通じて形成される「他者や自分に対する基本的な信頼感」や「関わり方のクセ」を説明する理論です。

一方、関係フレーム理論(RFT)は、人間が「言葉によって世界と関係を結ぶプロセス」に注目します。

MARMでは、この両者を統合し、愛着とは「自己と他者」「自己と世界」に関する言語的な関係づけ=“愛着フレーム”のネットワーク構造であると捉えます。

愛着フレームとは?

「私は=迷惑な存在」「感情=出すと嫌われる」「助けて=拒絶される」
こうした意味づけは、幼少期の経験と文化的文脈の中で、繰り返し学習された言語的関係づけです。

MARMでは、これらを「愛着フレーム」と名づけ、生存戦略として獲得された反応パターンの集合として捉えます。

こうして形成されたフレームは、その後の人生における行動選択や対人関係に、無意識のうちに影響を及ぼします。

語りとは何か?

― 言葉によって“自分”を形づくる、人間だけの営み ―

「語り(Narrative)」とは、出来事や感情、記憶、意味などを言葉で繋ぎながら再構成し、自分の人生に意味づけをする行為です。

「私はこういう人間だ」「あの時こんなことがあった」「なぜ私はこうなったのか」
こうした語りの積み重ねは、私たちのアイデンティティや自己理解を形づくっています。

語りは単なる情報伝達ではなく、
・自分の経験に意味を与える
・他者との関係性の中で「私とは誰か」を表現する
・感情や傷を“言葉”として整理し、心の外に出す
といった、人間ならではの心理的プロセスです。

そして語りは、「自分=こういう人間」「他者=こういう存在」といった関係フレームのネットワークによって構成されています。

語りとは、まさに「言葉によって作られた愛着フレームそのもの」と言えるのです。

愛着トラウマと「語り」の関係

―「語らなければ、生きられなかった」人たち ―

愛着トラウマを抱える人にとって、「語り」は特別な意味を持ちます。

多くの場合、幼少期に感情を受け止めてもらえなかった経験や、理解されずに傷ついた経験を持つ彼らにとって、「語る」という行為そのものが、『生き延びるための手段』であったことも少なくありません。

たとえば、
・誰にも理解されなかった苦しみを、自分の中で繰り返し“語り直す”ことでバランスを取っていた。
・感情を語れなかった過去の反動として、今は過剰に語ることで人との繋がりを保とうとしている。
・“語ってもムダだった”という経験から、「何も語らない」ことで心を守っている。

こうした語りのスタイルは、過去の文脈の中で機能してきた「生きるための知恵」です。
それゆえに、表面的に「話す量」や「内容」だけを評価してしまうと、本質を見失ってしまいます。

MARMでは、クライアントの語りを「苦しみの内容」ではなく、「苦しみに耐えるための行為」として尊重します。
その上で、「語ってもいいし、語らなくてもいい」と感じられる安全基地の中で、語りに新たな関係づけを与えていきます。

それは、「私はこういう人間」という既存の語りに、「それだけじゃない私も、ここにいるかもしれない」という言葉の余白をつくっていくプロセスです。

4. MARMの思想

― 語りに呑まれず、語ることを許す ―

MARMは、「クライアントの語る内容」を変えることを目的とはしていません。
むしろ注目するのは、「語るという行為」そのものが、どのような心理的・関係的な機能を果たしているのかという点です。

クライアントの語りには、「語らなければやっていられなかった」背景があります。
それは、誰にも届かなかった感情であり、語ることでしか自分を保てなかった痛みの歴史です。

MARMは、そうした語りの『必要性』そのものに敬意を払い、まずは「語ってもいい」「語らなくてもいい」という選択の自由がある関係性を提供します。

このスタンスは、
・愛着理論における「安全基地」:安心して依存し、そこから自立していける足場。
・RFTにおける「言葉の機能への着目」:『言葉=行動』としての意味と文脈を捉える視点。
の両方を統合したものです。

特に、RFTの視点では、「語る」こと自体が1つの行動であり、その行動がどんな関係フレームのネットワークに基づいているかを見ていきます。

たとえば、「私はいつも拒絶される」という語りの背後には、「私=迷惑な存在」「他者=いつか去っていくもの」といった関係フレームの強化されたネットワークがあるかもしれません。
そして、こうしたネットワークは、いったん形成されると消えることはありません。

だからこそ、MARMでは新しい関係づけを追加し、その機能に変化をもたらすことを目指します。
ポジティブな言葉をただ上書きするのではなく、「そう感じる私」も含めて受け入れながら、別の関係性が選べる自由を育てていくのです。

MARMは、セラピストが安全基地となることで、クライアントがその語りを“行動”として観察できる距離感を育てていきます。

つまり、MARMの思想とは、「語りの内容」を書き換えるのではなく、「語りが生まれた背景と関係フレーム」に寄り添いながら、語りとの距離と選択の自由を育てていくプロセスなのです。

5. モバイルの活用

― 日常に溶け込む、愛着の再構築 ―

MARMが「モバイル(Mobile)」と名乗るのは、単にスマホでやりとりできるという意味ではありません。
それは、『安全基地が日常に根づく支援』を象徴する言葉です。

“Mobile”という英単語の持つ意味は、「移動可能」や「持ち運びできる」です。
愛着の場を日常の中に築くことで、私たちは「いつでも誰かとつながれる」という感覚を取り戻すことができます。そんな思想、哲学としての“Mobile”です。

従来のセラピーでは、「対面の50分間」や「診療室の中」が支援の主な場でした。
しかし、愛着トラウマを抱えるクライアントにとって、本当にしんどいのは、その“あいだの時間”です。

日常の中でふと寂しさに襲われたとき、誰かに拒絶されたように感じたとき、「あの瞬間」に誰かが心に触れてくれたら……。
そんな想いを叶えるために、MARMではLINEなどのチャット、動画配信などモバイルツールを積極的に活用します。

モバイルを通して届けられるのは、「解決」や「助言」ではなく、“今ここにあなたがいること”に応答する関係性です。
つまりモバイルとは、ただの“手段”ではなく、「関係性のあり方」や「心が帰れる場所」の新しいかたちを象徴するものなのです。

手のひらにあるスマホから、“語ってもいい場所”が立ち上がる。

手のひらに、心の安全基地を
それが、MARMの目指す新しい愛着再構築のかたちです。

6.即時応答ではなく、文脈的な安全基地

― MARMが実現する、個人支援者による24時間支援 ―

MARMにおける「モバイル」とは、“つながる手段”ではなく、“帰れる関係性”そのものです。
そして、その関係性は、リアルタイムのやりとりがなくとも安全基地として機能します。

たとえば──
・以前届いたメッセージを読み返すだけで、心が落ち着く
・チャットルームを開くだけで、「ここにいていい」と思える
・文字に込められた関係性が、孤独な夜の不安をやわらげてくれる

このように、MARMは“今すぐ返事をもらえなくても、つながりは続いている”という感覚を育てるセラピーです。

これは、言葉の意味づけが文脈によって成立するという、関係フレーム理論(RFT)の思想に基づいています。
また、ACTにおける“価値カード”のように、言葉を日常に持ち運ぶ構造にも通じます。

MARMでは、“今、支援者がいなくても、安全基地はここにある”という体験を、モバイル空間そのものに設計しています。
それは、個人セラピストでも実現可能な間接的な24時間支援という、新しい支援のあり方です。

7. MARMの6つの姿勢

― クライアントと“再関係”を築くために ―

MARM(モバイル愛着再構築モデル)では、技法よりも姿勢を大切にします。
なぜなら、愛着トラウマを抱える人々にとって、“どんな関係の中で語るか”が、セラピーの意味そのものだからです。

MARMのカウンセラーは、以下の6つの姿勢を土台として、クライアントと共に歩みます。

1. 「物語の内容」ではなく、「語る存在」に寄り添う

語られる内容の正誤や解釈に囚われず、「語ること自体が、どれほどの意味を持っていたのか」に目を向けます。

2. “今ここ”で起きているプロセスに焦点を当てる

過去や未来への理解だけでなく、「今この場で、どんな感情や関係性が立ち上がっているのか」を大切にします。

3. クライアントの変化を焦らず、“観察可能なシフト”を丁寧に拾う

日々のやり取りの中にあらわれる微細な言葉の変化を重視します。
たとえば、「…かもしれない」という揺らぎの表現や、主語が「人」から「私」に変わる瞬間。そんな小さなシフトを丁寧に拾い上げていきます。

4. “問いかけ”ではなく、“気づきの余白”を置く

問いで導くのではなく、「言葉にならない時間」や「沈黙」に寄り添うことで、自然な気づきを育てます。

5. 変化を“引き出す”のではなく、“待つ”

クライアントのペースを尊重し、無理に変化を促すのではなく、“変わりたいと思える関係性”を根気強く築いていきます。

6.変化の主体を“クライアント自身”に置く

依存の再形成を避け、あくまで「自らの足で立つ力」を信じる姿勢を保ちます。
そのために、「私がなんとかしてあげる」という構図ではなく、「一緒に考え、見守る」関係性を築きます。

ときに、「今はここに留まっていても大丈夫ですよ」と伝えることも支援。
ときに、「この一歩、あなたなら踏み出せますよ」と伝えることも支援。

どちらも、“自立のための関係性”という同じ土壌から育まれる態度です。

これらの姿勢はすべて、「安全基地として、そこにいること」から始まります。

関係性の土壌が耕されて初めて、語りが変わり、生き方が選び直される。
それが、MARMの信じるセラピーのかたちです。

8. MARMの技法的特徴

― “語ること”の機能を見つめ、そっと手放せる関係性へ ―

MARMは、特定の“技法”を駆使してクライアントを変えようとするセラピーではありません。
その代わりに、語るという行動が果たしている「機能」に目を向けるという立ち位置を貫きます。

語りとは「生き抜くための行動」

たとえば、「私なんて誰にも必要とされていない」と語る人がいたとします。
この言葉の内容に反論したり、肯定的なメッセージで打ち消したくなるかもしれません。

けれどMARMでは、その語りが「どんな場面で、何のために使われてきたのか」に着目します。

もしかしたらそれは、傷つくことから身を守る盾だったのかもしれません。
誰かの愛情を試す手段だったのかもしれません。
あるいは、自分の価値を問い直さずに済ませる方法だったのかもしれません。

そうした背景や文脈を理解した上で、語ってもいい。語らなくてもいい。
そのどちらでも「ここにいていい」と伝えることが、MARMにおける最初の介入です。

安全な関係性の中で、語りから自由になる

MARMでは、次のような技法的アプローチを軸とします:
・クライアントの語りに巻き込まれず、同時に排除もしない「中立的な聴き方」
・語られた内容ではなく、語った“タイミング”や“文脈”に注目する「機能分析的アプローチ」
・セラピスト自身の身体感覚や反応を手がかりに関係性を捉える「共鳴的リスニング」
・安易に“解釈”せず、“一緒に見つめる”という態度に徹する「立ち止まる技法」

これらの技法はすべて、「安全な関係性の中で、語りから離れる選択肢もある」という自由をひらくためのものです。

「自立支援」:アプリを開かなくてもいい日常へ

MARMは単なる受容的支援ではなく、クライアント自身が探索行動を再開できるように支える“自立支援モデル”でもあります。

そのため、ACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)の価値のプロセスを取り入れながら、クライアントが「どんな人生を送りたいか」「どんな自分として生きたいか」を見つめ直し、小さな価値行動へとつなげていくための支援も行います。

こうした行動の“再接続”も、MARMにおける「再構築(Reconstruction)」の重要な一部です。

一方で、スマホを活用したセラピーは、「依存を助長するのではないか?」という懸念の声もあります。

MARMでは、むしろその真逆を目指します。
アプリを通じて“つながれる安心”を積み重ねた先には、「もう開かなくても大丈夫」という自由な自立が待っています。

安全基地が“手のひらにある”ことを知ったクライアントが、その基地をいつでも心の中に持ち運べるようになること――それこそが、MARMの目指す愛着の再構築です。

9. MARMと他の主要セラピーの関係

― “つながり”を軸にしたセラピーとしての独自性 ―

MARMがどのように他の主要セラピーと接続し、どこに違いがあるのかを整理します。

来談者中心療法

共通点:

無条件の受容、共感的理解、安全な関係性を重視する。

「その人がその人であること」自体を信頼する。

相違点:

来談者中心療法が“語られる内容”への共感を軸とするのに対し、MARMは“語るという行動の機能”に焦点を当てる。

MARMでは、内容に共感しすぎて語りに巻き込まれることを避け、語る力そのものに寄り添う。

認知行動療法(CBT)

共通点:

言語的な意味づけ(認知)に注目する。

問題の維持要因に着目し、文脈を理解しようとするする。

相違点:

CBTが「非合理的な思考の修正」を試みるのに対し、MARMは“非合理的に見える語り”も「生き抜くための行動」として尊重する。

修正や再構成よりも、まず「ここにいていい」という関係性を優先する。

アクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT)

共通点:

言葉の影響力に注目し、“言葉と距離をとること”を目指す。

文脈的行動科学に基づいたアプローチ。

相違点:

ACTでは「脱フュージョン(言葉との距離を取る)」を明示的に指導する場面が多いが、MARMでは“語りをやめることすら恐ろしい”文脈があることを前提とする。

MARMは、「語りから離れる自由」に至るには、まず「語ってもいい自由」を保障する必要があると考える。

愛着に焦点をあてたセラピー(SE、AEDP、EFT等)

共通点:

安全基地の形成、感情への共感、関係性の中での癒しを重視する。

クライアントの“幼い部分”との対話を促す。

相違点:

MARMは、ナラティブの“内容”だけでなく、“語りの行動そのもの”への働きかけを行う。

MARMでは、過去の体験よりも「いま、語ることの文脈」に対する気づきと選択肢の広がりを大切にする。

MARMの立ち位置:自由と文脈に根ざしたセラピー

MARMは、“物語を変える”のではなく、「物語を語る自由」と「語らずにいる自由」の両方を保障するセラピーです。

そのため、どのセラピーよりも「語りという行動」と「それが行われる文脈」に対するセラピストの感受性を重視します。

さらに、MARMはこうした安全な関係性の上に、探索行動や価値行動を支援する「文脈的自立支援モデル」として機能します。

10. 今後の発展に向けて

― 安全なつながりと“自立”を支える、新たな臨床文化へ ―

MARMは、単なる技法や形式ではなく、つながりの再構築と自立の促進を目的とする実践モデルです。

多くの人がスマートフォンを通じて支援にアクセスする時代、LINEカウンセリングやモバイルセラピーは「依存を助長するのでは?」という懸念を持たれることもあります。

しかし、MARMが目指すのは、モバイルを“安全基地”として活用し、探索行動(自立)を支援することです。
それはまさに愛着理論における、安全基地からの自律的な旅立ち=自立を支える愛着の再構築なのです。

1. 治療モデルとしての体系化

愛着トラウマケアプログラムの開発と提供

MARMに基づいて構築された「愛着トラウマケアプログラム」は、クライアントの語りと関係性に焦点を当てながら、安心して“自分自身を再構築していく”プロセスを支援します。

ここでは、ACTの「価値に気づき、コミットしていく力」も活用され、語りの中に埋もれた本来の願い・価値を見出し、それに向かって自分で一歩を踏み出す力が育まれます。

2. 安心できる関係性を支えるインフラの構築

セキュアなやり取りを実現するアプリ開発

MARMの中心には、「モバイル=日常に根づく安全基地」という思想があります。
その思想をより確かな形にするため、クライアントとセラピストが安心してつながれるセキュアなコミュニケーションアプリの開発を目指しています。

チャットや日記機能、動画配信機能などを備え、クライアントの語りを見守る“場所”そのものをアプリという形で構築していく予定です。

3. 教育プログラムとしての発信

理論と実践をつなぐセラピスト育成へ

MARMは、愛着理論と関係フレーム理論を実践的に接続した、現場志向の教育モデルでもあります。

セラピスト向けの研修・トレーニングプログラムでは、「語りの機能を見立てる眼差し」と「安全基地としての関わり方」。そして「クライアントの自立を促す関係構築のあり方」を丁寧に伝えていきます。

MARMは、“スマホ依存”ではなく、“スマホから自立へ”の新しい支援文化を築くことを目指しています。

安心して語れる場所があること、誰かに見守られている感覚があること、それは“依存”ではなく、“自立の条件”です。

これからの心理支援のスタンダードとして、MARMは関係性の未来をひらくモデルとして発展していきます。

終わりに 愛着支援の未来を、ともに育てていくために

クライアントの語りに、ただ寄り添うだけでは変化は起こらない。
けれど、語りを矯正しようとするだけでは、信頼は育たない。

そのはざまで揺れながら、私たちセラピストは、クライアントの言葉に耳を澄まし、小さな変化の芽を見つけていきます。

MARMは、“語り”という行為の機能を見つめ、その語りが生き延びるための知恵であったことを尊重しながら、やがて自分らしい関係性と行動を再構築するモデルです。

そしてそれは、ただの理論ではありません。
スマートフォンという身近なツールを通じて、“モバイルな安全基地”としての実践を可能にする仕組みでもあります。

今、愛着に悩む多くの人たちが、リアルな対面だけでは届かない場所にいます。
孤独の中でスマホを見つめ、誰かと繋がりたいと願っている人たちがいます。

MARMは、そんな日常のすきまに、そっと根づいていく支援の形です。
人との関係に希望を持てなかった人に、もう一度、安心できる誰かとの関係を育ててもらうために。

このモデルはまだ、始まったばかりです。
でもきっと、あなたのような実践家とともに育てていけると信じています。
愛着支援の新しい選択肢として、そしてモバイル支援の倫理的かつ実践的な道筋として、MARMを共に育んでいけたら嬉しいです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

モバイル愛着ケアカウンセラー 川谷 虎鉄